われら、哥麿救援隊!新潟豪雨救援活動を展開!!

 7月24日、25日の両日 全国哥麿会は、7月13日前後の集中豪雨で水害の被害に遭った
新潟県南蒲原郡中之島町で復興支援ボランティア活動を行った。
同町は信濃川支流の刈谷田川が欠壊し、多数の床上浸水や死傷者が出た最大の被災地。
高橋新潟上越支部長の呼びかけで田島会長をはじめ、各支部から2日間で延べ38人が駆け付け尊い汗を流した。
このような合同ボランティアは阪神淡路大震災、ナホトカ号重油流出事故以来3回目となる。
 24日朝9時にメンバーたちが関越・北陸自動車道の中之島見附ICそばに集結すると、
すでに近くのボランティアセンターには全国から来たボランティアグループの受付渋滞ができていた。
哥麿会も早速 参加名簿に記帳し、人数や用意して来たトラックやポンプ等の装備を申告。
担当者から畳店の倉庫の後片付けと道路の散水清掃の指示が出た。すぐに出発だ。
 2台の2d車の荷台に積んだタンクに給水して現場へ着くとその被害の大きさを目の当たりにして本当に言葉が出ない。
倒壊した建物、ひっくり返った車。床上浸水に見舞われた家屋はどこも泥にまみれて真っ茶色だ。
その中で被災者やボランティアの人達が黙々と泥と格闘している。
 メンバーたちも即、取り掛かった。2台の2d車は土埃のたつ道路に散水だ。
他のメンバーたちは畳店の倉庫へ。
中は畳屋ござが積み上げてあったが、背丈くらい浸水した為 全滅。
ムッとするすえたカビ臭が充満し始めていた。そんな中作業が始まった。
泥は土嚢につめ、水を吸って重くなった畳は二人掛りで次々に外へ運び出し、
それをアームロールダンプに積んで廃棄場へという段取り。
だが気温は34度超。とにかく暑い。そして悪臭との戦いだ。
 まず、田島会長が陣頭指揮をとる。そのうち自然に役割分担もできていった。さすがにチームワークは抜群。
昼休みを挟んで夕方5時まで汗を流すと2棟ある倉庫のうち片方がきれいに片付いた。
2日目は北関東支部のメンバーも加わりパワーアップ。
作業は昨日の続きで畳店のもう1棟の倉庫だが昨日より手強そうだ。
「全部片付けよう。終わらなかったら哥麿会の名が泣くぞ」と会長が檄を飛ばす。
この日はショベルカーも投入。ロープで建物奥の畳を引っ張り出すなど
実践的な技の種類も増えてきた。前日に続いて炎天下での作業なのでこまめに休憩をとる。
その度に畳店のご主人や奥さんが飲み物を配ってくれた。
被災者の方々は完全に復興するまでまた気の遠くなるような日々が続くのに、いろいろ気を使ってくださった。
その心境を思うと一層気合が入る。
それに加え、前日より平均年齢が下がった為、威勢のいい掛け声が飛び交い最後まで元気いっぱい。
テンションが下がることはなかった。
トラックも人間も頭から爪先まで泥だらけになったが気にする人はいない。
そして午後5時ぴったりに全部片付いた。
畳店のご主人も驚きの表情を隠さない。
体中の泥を洗い流し着替えて一息つくと初めてメンバーたちはホッとした表情になった。
「撮影会やバーベキューで親睦を深めるのは楽しいがクラブのあり方はそれだけじゃない。
世の為人の為になる活動もできるからこそ意味があるんだ」
最後に田島会長が言った言葉は説得力があり印象的だった。みなさん本当にお疲れ様でした! 
《写真・分 トラックキング吉田健一郎様より》

 私は今回のボランティア活動を通して、改めて初心に返りました。
我々は日頃、チャリティー活動をしていますが、
まだまだ努力が足りない気がします。
災害地へ行ってボランティアの人達や、地元の人達と
共に泥にまみれ汗まみれになってこそ
真のチャリティーではないでしょうか。
それを理解してくれる者たちがこんなに参加してくれました。
これからも一つ一つ、小さな力ですが前進して行きましょう。
涙を流して送ってくれた地元の人達の姿を忘れません。
そして、一緒に行った会員たちに感謝いたします。
この気持ちを忘れず北海道でも頑張りましょう!  
                       後記 田島順市 平成16年8月1日